2007年6月24日

candle night × value分析



100万人のキャンドルナイト
1年の中でもっとも日の長い夏至を、
「電気を消して、スローな夜を」過ごすというテーマの企画です。
自分はバイト先でもあるSUZU CAFEにて夜を過ごしております。
写真に登場するのはセルリアンタワーJZ bratでも働くソリマチ君。
染みる系のヒップホップを愛する青少年。
あと、ラストはこの日の添付レシート。
今日この時間でカットしたエネルギー、エコライフ。



さて、
最近エコを押した製品やサービスが多く観られます。
東京ガスとか、TOYOTAプリウスとか紀伊国屋のエコロジーバックとか
BIGLOBEまで!?
ん~…、エコの何が価値なのでしょうか?
ちょっと、変な言い回しかもしれませんが…、
『エコの“何”にお金を払っているのでしょう』


“節約に対する先行投資???”
僕達は、それほど賢くありません。
だって不自然じゃないですか…
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今、この製品やサービスを用いることで、
数年後、数ヶ月後、既存の製品を使うより経済的である。
よって、エコ製品を使うほうが賢い。
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たしかにあるかもしれませんよ…
けど…こんなことがコアな価値になる世の中なんて、
寂しすぎるし、現実的ではありません。

では、何が価値なのでしょうか?
それは…





“到達手段”です。
どん!

【地球に優しい人間】が最も先端的であり、理想であるという像への
“到達手段”であるエコに価値を見出しているのです。
言い換えれば、
【お洒落な人間】が先端的であり理想である人間像である人にとって、
“ハイブランド”が“到達手段”であることと同義になります。

もう少し噛み砕いてみれば、
心が豊かである人のステータスと言えるかもしれません。
また、世の中ではこれを価値観と呼ぶのかもしれません。







CASEその1.環境良夫さんにとっては、「エコ人間」が心の豊かな人間像になります。

つまり逆をとれば、
環境に悪いことをすることは、心の豊かでない人間の証になります。
なので、反エコ的活動をとってしまうと、
なんともいえな~い罪悪感が胸を締め付けるのです。
そのため、エコを気にする団体への帰属意識が生まれたりするわけです。
心の防御膜というべきなのかな?


CASEその2.
御洒落子さんにとっては、「御洒落人間」が心の豊かな人間像になります。
つまり逆をとれば、御洒落でない生活を送ることは、
心の豊かでない人間の証になります。
なので、野暮ったい芋臭い活動をとってしまうと、
なんともいえな~いソワソワ感が胸を締め付けるのです。
そのため、髪型が決まらなかったり、服の組み合わせが決まらないと、
家内コレクションが延々と開催されてしまったりするのです。










帰属意識の像がなーんとなく見えてきた。
梅雨。
2007。
このモデルで考えると、人の心が満たされることがあるのでしょうか。
また、達成を果たした次にはどのようなステージがまっているのでしょうか。
わくわく。

では、また。

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